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恩納ナベは18世紀のはじめ頃、琉歌の歌人として活躍した人です。字恩納のマッコー屋の農家の生まれだといわれています。当時は「マッコー屋のナビー」と呼ばれていたそうです。
しかし、出生や没年、兄弟はいたのか、ナベは結婚していたのか、子はいたのかは定かではありません。ナベは半ば伝説的な人物として伝えられています。
沖縄には古くから、八・八・八・六音からなる琉歌とよばれる歌がありますが、ナベは小さい頃からこの琉歌に親しみ、二十才の頃にはいくつかの歌を作っている。ナベの生きていた時代は沖縄文化の黄金時代とよばれ、首里、那覇の人たちだけでなく農村の娘たちでも琉歌を作るのが流行っていたそうです。また、ナベの育った恩納村は恩納岳、万座毛、恩納松並木などナベの周辺には歌の背景になるものがたくさんありました。こうした恵まれた環境の中でナベはたくさんの歌を作りました。
中でも若い頃に詠んだ〜恩納岳あがた、里が生まり島、森んうし除きてぃ、くがたなさな〜と晩年の作〜波ぬ声ん止り、 風ぬ声ん止り、首里天がなし、美御機拝がま〜は傑作といわれています。この「歌人恩納ナベ記念碑」が万座毛の入口広場の右隅に立っています。
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