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  ■ブロードバンド回線やんばる歴史探訪シリーズ
〜世界遺産 今帰仁城跡〜:5分25秒

■ISDN・36Kモデム回線やんばる歴史探訪シリーズ
〜世界遺産 今帰仁城跡〜:5分25秒
 

 
 

 
 
 今帰仁城跡は本島北部の今帰仁村字泊のハンタ原にあります。三山時代「北山城」と呼ばれていました。標高90〜100m前後の古生期石灰岩の上に築かれた連郭式の山城です。城内は大小八つの郭からなり、古生期石灰岩の石垣を3〜8mの高さに積み上げて城壁とし、その総延長は1.5kmにも達します。その建築法や立地条件から難攻不落の城とされてきました。難攻不落を誇った城、そして豪勇無双な武将と呼ばれた城主、攀安知(はんあんち)は1416年ついに尚巴志の軍勢の前に陥落しました。その後は、尚巴志の息子(3代目国王 尚忠)が北山監守として残りました。それから長い時を経た2000年12月、今帰仁城グスクを含む「琉球王国のグスク及び関連遺産群」は世界遺産に登録されました。



今帰仁城外壁

今帰仁城門
   
 

 毎年1月中旬〜2月初旬にかけては今帰仁城跡内の桜が一斉に開花して城を彩り、毎年多くの人で賑わいます。
桜さくら祭り
 
  歴史の連続再生:31分22秒  
 
 
 
 
 
 
 





今帰仁運天港  

 その昔、保元の乱に破れた源為朝は伊豆大島から脱出して琉球にたどり着いたと云われています。そして運を天にまかせ着いたことから「運天港」と名付けられたと伝えられています。
   




■常設展示内容

<今帰仁の歴史>
 今帰仁グスク跡から発掘された中国製の陶磁器を始め、今帰仁按司と関わる大北墓や百按司墓、歴史、山北監守と関わりの品々を展示、紹介しています。

<今帰仁のムラ・シマ>
 ムラ・シマ(村落)の集落の形態には碁盤型や分散型などが展示されています。

<今帰仁の生活と文化>
 日々使ってきた人々の生活道具や芭蕉布、豊年祭や神アサギなどが展示されています。


今帰仁村歴史文化センター

今帰仁村歴史文化センター




 
       
  協力


今帰仁スイカ出荷場
今帰仁村教育委員会 社会教育課
今帰仁城跡管理事務所

今帰仁村歴史文化センター
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